致死量という単語が好き
花粉症の症状がひどいので一週間に一度家から外出すれば良いほう、という春休みを送っていたさなか、なんとなくではてなブログを開いてみたところ、目に止まったこのブログを読んだ。
http://inubueoshiruko.hatenablog.com/entry/2018/03/29/202709
致死量を超えてきた恋の話
タイトルからドロドロとした恋愛を率直に思い浮かべ、どんな文章が広がっているのか気になったが故、私はそのブログを読み始めた。
書き出しから筆者の文才に引き込まれ、あれよあれよとスクロールが進んだ。
私自身、こういう次第に訳が分からなくなるようなことに巻き込まれる側なので、苦悩の仕方に共感した。
好意に囲まれて暮らしてる冷静によく考えればサイコパスと、その人に狂わされて感覚が正常じゃなくなりつつある周りの人たちっていう環境を目の当たりにした部分が個人的に私に被り、筆者がその人と関係が切れて良かったな、と思った。
特定の1人の視点、価値観、考え方が正しいと恋でも友情でも盲目的に思って、そのほかを否定、罵倒、悪口等をしたり拒否反応を起こしてしまったりしたらある種、なにかの終わりなのだと思う。
そして、仮に正気に戻ったとすれば、後悔と感情の反動、つま盲目的に信じた人への怒りや憎しみが返ってくる。
いや、私は返ってきたからこそそう感じるのかもしれない。私は信じてしまう側、被害を受ける側の両方の立場になったことがあるので、これ以上の地獄はないと願っている。
価値観が捻じ曲がった人にこれから先何人か出会うことになるのだろうな、と思うと、正直恐怖でしかない。